「ヘレニズム時代」気になるヨーロッパの歴史・・・その2
アレクサンドロス大王は、ポリス政治ではなくオリエント的専制政治を展開したため、経済.文化の中心は東方に移り、ギリシア本土は人ロも減ってさびれました。
一方で大王は東西文明の融合という理想を掲げたため、独自の文化・思潮も生まれました。
大王がバビロンで急死して三十二歳余の生涯を閉じると、その後継者(ディアドコイ)たちによる抗争ののち、大帝国はマケドニア(アンティゴノス朝)・シリア(セレウコス朝)・エジプト(プトレマイオス朝)の三国に分裂したが、いずれもギリシア人が支配する専制国家であった。
三国は、西方から台頭してきたイタリア半島のローマに対する備えや団結を怠ったため、相次いでローマに滅ぼされた(前一四六~前三〇)。
アレクサンドロスの東方遠征に始まり、プトレマイオス朝エジプトの滅亡(前三〇)にいたる約三世紀間をヘレニズム時代というが、このように命名してこの時代の歴史的意義を積極的に評価したのは、ドイッの歴史家ド・イゼン(天〇八~八四)でした。